
18年前の行商時代の写真。
この頃はまったく先が見えなかった。
人生に迷って知覧に行ったのもちょうどこの頃。
この頃の自分に
「大丈夫。おまえの未来は明るいよ。だから絶対にあきらめるなよ」
と言ってやりたい。
蓮の華は泥の中で咲く。
逆を言えば、泥がないときれいな蓮の花は咲かない。
この泥があるからこそ、蓮はきれいに咲き誇るのだ。
こんな話を昔ぼくの大好きなお坊さんから聞いたことがある。
そのときはまったくピンと来なかったが、いろんなことを経験してきた今になって、この言葉の意味が少しだけ分かるようになった。
僕は大分県の中津市というところで生まれ、この町でたこ焼きの行商から商売を起こした。
たこ焼き屋になるために東京で修行し中津に戻ったのだ。
「このたこ焼きで中津の人たちを元気にするんだ」
始める前は意気揚々。
けど世の中そんなに甘くない。
始めて一ヶ月も経たないうちに後悔した。
「しまった、東京で始めれば良かった。人口がいない」
いつもこう愚痴っていた。
けど、今は思う。
人口が少なかったからこそ、その少ない人口でできることを考え、行商をやめて陽なた家をつくった。
陽なた家が駅から離れた田んぼの真ん中に建ててしまったからこそ、一人の人が二回、三回と来てくれるための知恵を考え、身につけることができた。
人が辞めたらまた集めるのが大変だから、みんなが幸せに働ける方法を一生懸命考え、その結果「一流の人間を集めるのではなく、いまいる人間を一流にする」というオリジナルの人財育成法が生まれた。
商圏人口が少ないから、全国から人を集める方法を考えた。知ってもらう方法が少ないから本を書き始めることができた。
振り返ってみると、いまの僕の仕事はぜんぶこの不利だと思う環境のおかげで生まれた。
自分が思ってた不幸な環境こそが、自分を成長してくれるための泥だったのだ。
「俯瞰」という、少し難しい言葉がある。
高いところからながめてみるという意味の言葉だ。
もし、いまあなたが、何かに悩んでいたとしたら、少しだけ鳥になって空を飛んでみてほしい。
その悩みの裏側に必ずあなたを成長させるためのヒントが隠されてるはず。
泥まみれになった人、悩んだひとほど、きれいな蓮の花になる。
日本で一番有名な経営者である松下幸之助さんが言った有名な言葉がある。
「自分が成功できたのは三つの理由がある。それは『貧乏だったこと』、『学歴がなかったこと』、そして『体が弱かったこと』だ」。
普通だったらこの三つって、「できない理由」になりそうなものだけど、松下さんはそれを自分の成功の理由として挙げた。
「貧乏だったからこそ、一生懸命働こうと思えたし、お金の大切さを知って感謝できた」
「学歴がなかったからこそ、他人に素直に教えてもらおうと思った(松下氏は小学校中退)」
「からだが弱かったからこそ、人を信じ、人に任せることができた」
これこそまさに楽観力のモデルケースだ。
これは松下さんのような偉大な人だからそう言えたのだろうか?
いや、違う。
楽観力が松下さんをあそこまで偉大な人に育てたのだ。
エジゾンだってヘレンケラーだってナイチンゲールだって、そしてあなたの周りにいる素敵な人たちだってみんな同じ。
違いは
「どうやって自分のハンデの裏側を見つけようとしたかどうか、そして、あきらめなかったかどうか」
というほんの少しの差だけ。
あなたにも多少は持っているように、どんな人だって、コンプレックスや、昔の傷が必ずある。
少し振り返って思い出してみてほしい。
「引っ込み思案だったから、一歩前に出る練習ができた」
「いじめられてつらい思いをした経験があるから、人に優しくできるようになった」
「前の恋人にふられたから、今の素敵な伴侶に出会うことができた」。
つらい経験を冷静に振り返ってみると、不幸の裏側にある幸せが見えてくる。
これが楽観力の訓練だ。
もちろん、最初はそのいい面を見つけるのに少し時間がかかるかも知れない。
けど慣れてくると、そのスピードが上がってくる自分に気づくようになる。
ものごとは、少しだけ角度を変えることで、その裏側にある、いい面が見えてくる。
それを見つけながら生きていくのか、見つける努力をせずに、不満を抱えて生きていくのか。
あなたはどっちを選ぶ?
今日も読んでくれてありがとう。