たこ焼き小僧珍道中Vol.3

そんなある日、アーケードの中に、一坪、畳二枚分くらいのたこ焼き屋ができた。

小さなカウンターがついていて、丸椅子が三つ。その前でおばちゃんがたこ焼きをくるくるひっくり返すのだが、僕はその姿と、親が忙しくてかまってくれない淋しさもあったのか、毎日のようにそのたこ焼き屋さんに通うようになった。

おばちゃんが焼くたこ焼きは天下一品だった。最初はおばちゃんにその日学校であったことを聞いてもらいながらたこ焼きを食べるだけだったが、だんだん興味がわいて来て、カウンター側から千枚通しを持って、たこ焼きを転がすようになり、気がついたら店の中に入るようになっていた。

「あんた、たこ焼き覚えたいのかい?」

「うん。おれちゃんとやるからおばちゃん、教えてよ」

「分かった。あんたは私の一番弟子だね」

こんな流れでぼくはたこ焼き屋に見習い弟子として入社した。

最初は自分のたこ焼きを焼いて食べるだけだったのだが、だんだんそのたこ焼きをお客さんに出すようになった。

「ぼく(子供に対する呼び方)、小さいのにえらいねー」

と感心しながら買いに来てくれていたお客さんたちも、その姿に慣れてくると、

「ぼく、きのうのたこ焼きは焦げてたよ」

とだんだん注意されるようになった。おばちゃんもだんだん厳しくなっていった。しかし、大人が僕に対して真剣になってくれたこと、そして「おいしい」とカウンターで食べてくれる人の笑顔がうれしくて、どんどんこの世界にのめり込んでいった。そしていつの間にか、たこ焼き屋はぼくの夢になっていった。「大きくなったらたこ焼き屋になる」。

子供がプロ野球選手やケーキ屋さんに憧れるように、ぼくはたこ焼き屋さんに憧れたのだ。

そしてもう一つ。その夢の背中を後押ししてくれたことがあった。たこ焼き屋の弟子として半年ほど立った頃、小学校5年生、11歳のときだった。

当然だが、まだ背が低いので、小さな台の上に乗り、タオルを頭に巻いてたこ焼きを焼いているのを見た、近所のローカル紙の編集者さんが、おもしろがってくれ、「小学生たこ焼き屋」と取材をしてくれたのだ。

いまだとPTAの問題になりそうなネタだが、当時の周りの反応は全く逆。

「人のお手伝いをしてえらい!」

と校長先生が全校集会の場で、ぼくをステージにあげてほめてくれたのだ。

どちらかというとやんちゃなほうだったので、人前に立たされるときは怒られて吊るし上げられるときと相場が決まっていたのだが、全校生徒からほめられるという予想外の出来事が起きてしまったため、僕は有頂天になり、「たこ焼き屋になる」、この夢はぼくの頭の中で確定事項になってしまったのだった。