一番の社会貢献は、まず自分の足で立つことから

世の中にはいろんな社会活動がある。いずれにせよどれも、とっても大切なことだ。
これは僕の経験なのだが、社会貢献活動に熱中しすぎると、それだけやっていれば生きていけるような錯覚に陥ってしまいがちになってしまうことがある。このメンタリティーは要注意だ。

 

実際人が喜んでくれる姿を見ることができるし、そんなことに携わるくらいだから、まわりは優しい人たちばっかりだから自分のことを褒めてるかもしれないし、当然その世界の中ではとっても必要とされる。

 

しかし、やはり働かずに、そればっかりやっていたら当然、家族や身近な人たちは心配する。当たり前だ。自分でも、そこはわかっているんだが、ザクッと言われると腹が立つ。
「いいことやってんのに、なんでそんなこと言うんだよ」

 

そう言いたくなる。当然、面白くない。仕事も行きたくなってしまうかもしれないし、すべてのことにおいてもふてくされたくなる。

 

しかし残念ながら、社会に出た以上、これではダメなのだ。
親、家族、etc。一番近いところに心配をかけてしまうと、必ずと言っていいほど、いつかは動けなくなってしまう。

 

そして現実敵に見ても、こういう活動はお金もないと続かない。
こんなことを言うと「拝金主義(お金第一主義)だ」と言われそうですが、違う。もちろん世の中、お金がすべてではない。

 

しかし、どこに行くのもなにをするのも、たいがい、お金がかかる。
いくらわめいたって、外食したら最後に会計があるし、ボランティアする場所に行くのも交通費がかかるのは分かりきったことだ。

「僕たち人の役に立ちに行くんで、ガソリンをタダにしてください」

と言ってみたとしても、鼻で笑われるだけ。どう考えたってお金はかかってしまう。ここを考えずに行動を起こすのは現実逃避の感覚に近いかもしれない。

「金、金」とお金を追いかけすぎると、まわりが離れていってしまうが、あんまりにもお金がなさすぎても、生きてはいけなくなってしまう。やっぱりバランスは大切だ。

 

貢献とお金は、「どっちが大事?」ではなくて、「どっちも大事」なのだ。

 

「あなたは若いのに、そんな思いで生きて偉いね。この会の期待の星だよ」とまわりが言ってくれると、気分がいいものだ。しかし、その会の先輩たちもお金はくれることはない。

そこは自分が稼ぐところですから、くれなくて当たり前だ。

「お金がなくて困っているのに、なんで助けてくれないんだ?」と言っても、「そりゃ自分で働けよ」と言われてしまうのがオチになる。

 

お金のことを悪く言うのはやめよう。それは海で泳いでる魚が、「水なんていらない」と言っているのと同じだ。本当になくなったら死んでしまう。
そうならないためにも、きちんと最低限、自分で食べていくことくらいはできる仕事をするべきだ。

 

そして、自分の生活をしっかりさせて、社会活動を始めるのだ。これなら誰にも文句を言われる筋合いはない。そしてもうひとつ覚えておくべきこと。それは一生懸命働くこと自体がそもそも立派な社会活動なのだということを。